霊歌 スピリチュアル

< ホーム

霊歌(スピリチュアル)について、その概要から誕生した時代、背景、特徴などについて説明しています。
最後に、有名な曲もリストしてありますので参考にしてください。

霊歌とは

画像

霊歌(スピリチュアル spiritual)はアメリカ合衆国で誕生・発展した宗教的な民謡の一つです。

かつては『賛美歌 hymn』 、『霊の歌 spiritual song』 、『ジュビリー・ソング jubilee song』、『奴隷の歌 slave song』、『奴隷小屋とプランテーションの歌 cabin and plantation song』 、『ゴスペル Gospel』、『プランテーション讃美歌 plantation hymn』 、『黒人霊歌 ニグロ・スピリチュアルズ Negro Spirituals』などの様々な名前で呼ばれていましたが、黒人を指す「ニグロ Negro」という言葉に差別的な意味を持つようになった現在では、単に『霊歌 スピリチュアルズ Spirituals』あるいは『アフリカ系アメリカ人スピリチュルズ African-American Spirituals』と呼ばれます。

霊歌は奴隷状態にあった南部のアフリカ系アメリカ人(黒人)の共同体の中から誕生した固有の宗教音楽です。
その歌詞は、多くの場合聖書の物語に基いていますが、奴隷であったアフリカ系アメリカ人が耐えた極度の苦難についても描写されています。

参考までに、『スピリチュアル』という言葉は、新約聖書の「コロサイ人への手紙」に書かれた「霊の歌 spiritual song」に由来するそうです。

霊歌が誕生した時代

霊歌の誕生時期は18世紀後半から1860年代の制度的奴隷制廃止の間だと言われています。

アフリカからのアメリカへの最初の入植は1619年だと言われていますが、この頃にはまだ比較的自由に生活するアフリカ人も居たようです。
18世紀初頭には完全な奴隷制へと移行していき、1860年には350万人ものアフリカ人が奴隷としてアメリカで働いていました。

1861年にアメリカで南北戦争が勃発、戦争中の1862年にリンカーン大統領が奴隷解放宣言を行い、そして1865年に北部のアメリカ合衆国側の勝利で戦争が終結することで、彼等はようやく自由を得ていきます。

誕生の背景

奴隷の雇い主は、奴隷の共同体の自主的な活動を警戒し、アフリカの言葉の使用を禁じ、集会を禁じ、ドラムの使用を禁じました。
また、アフリカから連れて来られた人たちはアフリカの土着宗教を持っていましたが、雇い主にはそれが原始的であり脅威に感じられたため、キリスト教によって奴隷を精神的にも肉体的にも支配しようと考えました。

しかし、奴隷達は白人から押し付けられたキリスト教をそのままには受け入れず、アフリカの宗教や文化というフィルターを通してキリスト教を解釈しました。
これによって、アフリカの人々の宗教的伝統が、アメリカ南部の福音主義的キリスト教の文化と接触し、新たなアフリカ系アメリカ人独自の音楽の基層を形成します。

霊歌の特徴

画像

霊歌は宗教音楽とは言っても民族音楽であり、正式な礼拝で使われるものではなく、非公式な宗教的な集まり、あるいは労働の場などで歌われてきました。
奴隷制時代には、奴隷達が独自に宗教活動を行なえるよう「Praise House」といわれる小屋が建てられ、そこで霊歌が歌われました。

霊歌の特徴として、リーダーとグループによる「呼びかけと応答 call and response」の形式や、応答部分で聞かれる個々のヴァリエーションなどがあります。
独創的なヴァリエーションは、常に歓迎され、また期待されていました。
しばしば自発的に手拍子や足踏みが付け加えられ、それらはいつともなく始まり、そしてそのリズムパターンは即興的に変化していきます。
状況に応じて即興的に繰り返され、引き伸ばされ、変化が加えられていく柔軟性を持っていました。

また、リング・シャウトという種類の演奏もあり、これは単純な応答形式を繰り返しながら次第に参加者の感情を高めていき、一種のトランス状態にまで導いて行きます。

リズムにおける特徴として、西アフリカの「複雑なリズム」や「ポリリズム」などにおいて、アフリカ音楽の影響が見られます。

歌詞に関して、キリスト教に改宗させられた奴隷たちは聖書のモーセやダニエルの物語りに精通し、そこに自分たちの経験との類似点を見出し、悲しみや希望を表現する手段としました。
例えば、モーセの「出エジプト」に登場するヨルダン川は、この世とあの世の象徴的な境界として、さらには奴隷の状態から自由な生活への境界となる川として歌の中に表現されています。

実際に南部の奴隷を北部やカナダに逃亡させる「地下鉄道」と呼ばれる秘密結社も結成され、歌詞はこの逃亡を暗に伝える役割をしていたのではないかという説もあります。

霊歌の普及

画像

南北戦争の後、1867年のウィリアム・フランシス・アレンらによる『合衆国の奴隷の歌 Slave Songs of the United States』や、トーマス・ウェントワース・ヒギンソンによる『黒人霊歌 Negro Spirituals』という記事が公開され、それまで口承によってのみ伝えられてきた歌が印刷で広く知られるようになりました。

さらに霊歌への関心が高くなるきっかけとなったのがフィスク・ジュビリー・シンガーズ(Fisk Jubilee Singers)によるツアーです。
フィスク・ジュビリー・シンガーズはテネシー州のフィスク学校の生徒9人からなるアカペラ合唱団で、コンサートのレパートリーとして霊歌を普及させました。
1871年から1878年までの初期メンバーによる活動の中で、ホワイトハウスでの演奏やヨーロッパツアーなども行いました。

他にもハンプトン・シンガーズやタスキーギー・インスティチュート・カルテットなどが、霊歌の普及に貢献しました。

よく知られている曲

All God's Chillun Got Wings
Bosom of Abraham
Children, Go Where I Send Thee
Deep River
Dem Bones
Didn't It Rain
Do Lord Remember Me
Down by the Riverside
Down in the River to Pray
Every Time I Feel the Spirit
Ezekiel Saw the Wheel
Follow the Drinkin' Gourd
Go Down Moses
Go Tell It on the Mountain
Golden Slippers
Gospel Plow
The Gospel Train
He's Got the Whole World in His Hands
I Shall Not Be Moved
I'm So Glad
Joshua Fit the Battle of Jericho
Kumbaya
Lord, I Want to Be a Christian
Michael Row the Boat Ashore
Nobody Knows the Trouble I've Seen
Roll, Jordan, Roll
Satan, Your Kingdom Must Come Down
Sometimes I Feel Like a Motherless Child
Song of the Free
Steal Away
Swing Low, Sweet Chariot
There Is a Balm in Gilead
This Little Light of Mine
Wade in the Water
We Are Climbing Jacob's Ladder
Were You There
We Shall Overcome
When the Chariot Comes
When the Saints Go Marching In